高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

ルネ・クレマン『居酒屋』(1956)

予想よりはるかによかった。よく、あのゾラの代表作を、2時間弱のコンパクトかつきちんとした骨格を持ったドラマにまとめたよ。ルネ・クレマン、さすが。 出だしで、あ、これはいいと思うのは久しぶり。オープニング。ジェルヴェーズが窓から外を眺める。モ…

忘れられない生徒ーー随筆のような、小説のような

私は、東日本大震災の直後、縁あって福島県のある私立高校に、専任教諭として勤めることになった。赴任早々、間もなく入学してくる1年生の担任をすることになった。これには驚いたが、さらに驚いたことには、そのクラスの生徒の人数は4人、しかも男子は1名だ…

恋と涙

かねてから、日本の文学、というか文化は、恋と涙に収斂されるのではないか、と考えている。古来より、いったいどれだけの歌人が、恋と涙をうたってきたことだろう。まったく、王朝のひとたちときたら、よく涙を流す。 保田與重郎は次のように言う。 わが詩…

マキノ雅弘『武蔵と小次郎』(1952)

わたくしがどれだけ淡島千景さま(おケイちゃん)が好きかというと、まあ、こうした作品もちゃんと観ているんだよ、ということになりましょうか。 1952年の松竹映画。新国劇の二大スター(島田正吾と辰巳柳太郎)が武蔵と小次郎を演じ、従来のようなお通とい…

佐分利信『心に花の咲く日まで』(1955)

むかし、日本映画専門チャンネルで観た。大映・文学座。監督が佐分利信である。脚本は田中澄江で、文学座総出演(杉村春子の伝記なんかを読んでいると、舞台のためにこうやって映画で稼いでいたんだなとか、ついつい余計なことを考えてしまう)、しかしクレ…

渋谷実『もず』(1961)

淡島千景週間……(たぶん、すぐ終わる)。 1961年の作品だが、この映画が完成するまでの、本来キャスティングされるはずであった杉村春子や岡田茉莉子を巻き込んだすったもんだを知ってしまうと、素直に楽しめない映画。しかし、そうした楽屋ネタで左右される…

成瀬巳喜男『鰯雲』(1958)

2012年の6月24日、今は無き銀座シネパトスで観た。もう10年以上前である。たしか、成瀬巳喜男特集みたいなものをやっていて、同時上映は「杏っ子」だったが、必ずしも成瀬の代表作とは言えないこの作品をなぜわざわざ観に行ったのかと言えば、はい、わが淡島…

サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』

不条理劇の最高傑作と呼ばれるこの作品を、私は長い間読んでみたいと思っていた。そして数年前、ついに読んだ。 感じたことは二つ。上演されている、劇として観たいと思ったこと。日本ではすまけいの舞台が有名だが、確かに、これは並大抵の俳優ではとてもじ…

きょうでブログ開始から半年だそうです

はてなブログからお知らせがあり、ここを開設してからきょうでちょうど半年だそうです。雑多な文章を放り込んでいるだけの倉庫のようなブログですが、一度でも読んでいただいた方には感謝の気持ちしかありません。 本当に本当にありがとうございます。 私事…

生きろ。いや、生きようね。

私は、子どもの頃から、潜在的な自殺願望に悩まされてきた。以前にも書いたが、それが顕在化したのは、大学3年、付き合っていたひとに捨てられたときだった。 それからもう20年以上が経つ。その間、私のすべての意識は、ただ、生きることに傾けられてきた、…

日記から(ブルース・ベレスフォード『ドライビング Miss デイジー』とハービー・ハンコックのことなど)

2018年の日記から。 8月28日 『ドライビング・ミス・デイジー』、なかなかよかった。 こういう映画を作ることのできるアメリカの懐の深さ。そして、ハンス・ジマーのあのテーマ曲。ジェシカ・タンディ(デイジー)とモーガン・フリーマン(ホーク)の友情が…

スタンリー•キューブリック『現金に体を張れ』(1956)

私は別に映画を作る人間ではないけれど、嫉妬するほど「天才」を感じるのは、ウディ・アレンとスタンリー・キューブリックの二人である。これもすごい映画である。『博士の異常な愛情』のときも感じたが、ほんと、身も蓋もない。徹底している。救いようがな…

太宰治『人間失格』と世間と怒りと

太宰治の『人間失格』を読んでいて、次の部分にさしかかると、私は背中が泡立つ。 世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり…

日記から(ウディ・アレン『アニー・ホール』やカポーティ『叶えられた祈り』のことなど)

9.8 生徒たちが、私のことを、「俺たちの言いたいことを全部代弁してくれる人」と言っていたらしい。何をもってそう思われたのかはわからないが、それは私にとって最大級の誉め言葉だと思った。 帰宅し、『アニー・ホール』を見た。好きか嫌いかと言ったら、…

スティーブ・クローブス『恋のゆくえ ファビュラス・ベーカー・ボーイズ』(1989)

(邦題の「恋のゆくえ」が何ともウザいが)これまた大好きな映画。 やはりジャズはよい。よいのだから仕方がない。大人のほろ苦い映画。恋の映画というより、もっとシビアなショービジネスの世界の悲しさ、兄弟の対照性が面白かった。 ジェフ&ボーのブリッジ…

日記より(ウィリアム•スタイロン『ソフィーの選択』のこと)

2019年の日記から。 1.12 ウィリアム•スタイロン『ソフィーの選択』を読む。これも、書き出しからして、アメリカ文学のテーマである「イノセントと喪失」なのだろうか。この伝統はいつからなのか(ソローの『森の生活』も、考えようによってはイノセントの回…

日記より(トルーマン・カポーティ『冷血』の原作と映画のことなど)

10月×日 カポーティの『冷血』。昨日、電車で読み始め、早く続きが読みたくて、朝起きたときも真っ先にこれが読みたいと思い、とうとう一気に読み終えた。いやすばらしい。ノンフィクション・ノベルの傑作。とくに、犯人のペリーとディックの造型がすばらし…

ジム•ジャームッシュ『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984)

すでに多くの批評が出ている有名な作品、今さら私が何を言っても、とは思うのですが、言わせてください、ただの感想。 これはかなり好きな映画。なぜなら、ひとえに、映画的な映画だから。そして、徹底して無機質だから。アメリカなのにアメリカとも思えない…

アラン•パーカー『ミシシッピー・バーニング』(1988)

本当のアメリカの人種差別はこんなもんじゃないだろうが、それにしてもこれは多くの人が見るべき。一応、実際にあった公民権運動家3人が殺された事件をもとにしている。 たたき上げの捜査官であるジーン・ハックマンがよい。なんていい俳優なんだろうと思う…

日記から(2014年11月8日)

飛ぶイメージ。イメージは想像力。それは翼。イメージ、理想がないと、飛んでいる気がしない。イメージを実現しようとして行動したとき、そこで初めて飛んだことになる。そして飛ぶきっかけは現実(地上)にしかない。現実にあるものから飛躍させるのも、現…

私は誰? さあね、誰だろう。

私はたゞ、うろついているだけだ。そしてうろつきつゝ、死ぬのだ。すると私は終る。私の書いた小説が、それから、どうなろうと、私にとって、私の終りは私の死だ。私は遺書などは残さぬ。生きているほかには何もない。私は誰。私は愚か者。私は私を知らない…

宇野浩二『蔵の中・子を貸し屋』(岩波文庫)と私小説と話芸、ときどき西村賢太

今ではもうほとんど読まれなくなってしまったけれど、絶対に後世に残し伝えたい作家というのが何人かいて、私にとって宇野浩二はそのうちの一人である。 亡くなった西村賢太が芥川賞を受賞したとき、久しぶりに「私小説」(断じてシショウセツではなく、ワタ…

文学と教育は両立するのかよ、おい

などと、大層な題をつけてはいるが、最近の感慨。 いま、国語科における文学教育についての原稿を書いているので、頭のなかは常にこの問題がぐるぐるしている。 教育の目的は何か。端的に言えば、よりよき人間を育てることであろう。一人ひとりが幸福になる…

デヴィッド・フィンチャー『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008)

最初に断っておきますね。私、これ、かなり好きな映画です。 主人公は、肉体だけが80歳の老人として生まれて、だんだんと若返っていく一方、内面は成熟していく物語である。しかしこれはちょっと矛盾もあって、最初と最後、いちおう肉体は赤ん坊である。顔だ…

東日本大震災当時に考えた「震災」と「文学」

こんなメモが残っていた。これは、震災当時に書いたものだろう。 震災詩とは、震災後の文学とは、早くもそんな言葉がメディアに踊っている。テンションが高い。浮足立っている。 私は、嘘だ、と思った。 Twitterに流れる、膨大な量の、震災について、原発事…

学問的な「性」の話を少し――笹間良彦『図録 性の日本史』

現在、論文の仕事が詰まっている。授業もある。脳は常に興奮状態である。それを少しでも冷ますために、別な文章を書く暴挙に出る。それがこのブログである。まったく自分のためにやっている。来て下さる方々には、本当に申し訳なく思っています。 さて、仕事…

「エッセイ」のこと——荒川洋治『忘れられる過去』から

私は何を差し置いても随筆やエッセイ(私のなかでこの二つには区別がある)が好きで、小説を書いてみたいと思ったことは一度もないが、エッセイの類は、ああ、こういうものが書いてみたいとしばしば思う。 しかしながら、たとえばモンテーニュの『エセー』と…

言葉に操られる女

所詮、言葉なのである。言葉がすべてなのである。 言葉ありきで生きているので、それはしばしば、自分の首を絞めることになる。言葉は序論であり、本論であり、結論であり、スタートであり、途中であり、ゴールなのだ。 たとえば、「先生」。私は教員をして…

市川崑『破戒』(1962)※市川雷蔵すげえ

私、島崎藤村、好きなんです。同業の作家たちからは嫌われていたけれど、そのスケールの大きさは近代作家のなかでも桁が違うと思っております。姪に手を出して妊娠させてそれを書けるあつかましさ。 その藤村原作の『破戒』を映画化したのがこの作品。最近、…

永井荷風『すみだ川・新橋夜話』(岩波文庫)

いわき市に住んでいた3年の間、私は月に1回くらいの割合で、東京に出て来た。いつも、それは衝動的なもので、東京が恋しくなると、矢も楯もたまらず飛び出すのだった。 いつも、真っ先に思い浮かんだのは、隅田川であった。いわき市と東京を結ぶ高速バスの…