飛ぶイメージ。イメージは想像力。それは翼。イメージ、理想がないと、飛んでいる気がしない。イメージを実現しようとして行動したとき、そこで初めて飛んだことになる。そして飛ぶきっかけは現実(地上)にしかない。現実にあるものから飛躍させるのも、現実の苦しみをバネにするのも自分だ。言葉、絵、音楽…イメージを膨らませてくれるもの、それに近づこうとするのが飛ぶこと。知ろうとすること、それも飛ぶこと。きっかけがないと自分はなかなか飛べない。そもそも、飛ぼうと思わなければ、飛べない。そして飛ぶには健康な身体が必要。体が重かったら、飛べるわけがない。そして私はいつも体が重い。これはまちがいなく業だ。
現実に磔になることについて。使っていない翼はどんどん衰えていく。小さな「飛ぶ」ことの繰り返しが、大きく飛ぶことへの力になるのかもしれない。そう考えると、飛ぶことは勇気だ。それは行動だ。イメージは諸刃の剣である。飛躍もするし、限定もする。じゃあ飛躍するには?行動するしかないじゃん。観念の世界を自分で壊していくしかないじゃん。
私はものの価値を知るためにここ、いわきへ来た。東京にいたらここまではっきりとものの価値はわからなかった。今までは、人を軽蔑してはいけないとか、いろいろなものに縛られ、まっすぐにものを見ようとしなかったが、今は全力で決めて言う。くだらないもの、レベルの低いもの、下劣なもの、愚劣なものは確かに存在する。そういうものを、私は全存在かけて否定する。勇気をもって言いきれない批評家なぞ、批評家ではない。人間の尊厳を否定するものこそ、全力をかけて否定する。
いわきに来てから、価値あるものだと思ったものはたくさんある。まずは月。月がこれほどまでにきれいに見える土地は、私にとってははじめてだった。朝焼けや夕焼けの色の濃さ。東京では輪郭がぼやけている。
不自由なのは、自分に原因がある。最終的に自分を縛っているのは自分である。本当に自由になりたいのなら、お前がなし得るすべてのことを成し遂げよ。いかなることにも耐えよ。それができないのなら、お前は自由をあきらめてしまうがよい。
美容院で、篠山紀信のグラフを見る。つくづく思うけど、一流の人っていうのは、本当に陽気である。私もそんなふうになりたい。その篠山紀信の言葉。風景を撮る時、一番大事なのは、だんだん自分を消していくということ。保護色を着て、やがて自然と同化する。インタビュアーは、風になることですね、と言う。それに対して、そう、風になること、と答える。すごくわかると思った。
風になること。風に乗ること。風を待つこと。