高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

アラン•パーカー『ミシシッピー・バーニング』(1988)

本当のアメリカの人種差別はこんなもんじゃないだろうが、それにしてもこれは多くの人が見るべき。一応、実際にあった公民権運動家3人が殺された事件をもとにしている。

たたき上げの捜査官であるジーン・ハックマンがよい。なんていい俳優なんだろうと思う。私のなかでは、彼の出ている映画にはハズレがない。

そのハックマンが「黒人に対してより貧乏に対する憎しみ」と、プア・ホワイトが人種差別の中核にいた現実をはっきりと口にするところが重要。彼の父親は、ラバを持っていた黒人を憎み(持てないほど貧しかった)、ラバを殺し、黒人を町にいられなくした。

だからこそ、この事件のあった町の人間の気質も構造もよくわかる。それでいながら、職務遂行のために犯人を追い詰めていく。KKKがこういうもんだということ、そして、黒人がどんな扱いを受けてきたかということ。時折、目を背けたくなるような場面もあった。

保安官の妻・フランシス・マクドーマンドもよい。こういう田舎に生まれた女の宿命を担っている(これもハックマンのセリフ)。つまり、高校までに地元で結婚相手を探し、あとはひたすら不幸と幻滅の人生を送る、というもの。彼女の夫の保安官が事件の首謀者なんだけど、イカれた役を好演していた(ブラッド・ドゥーリフ)。

重いテーマの作品は、それなりの役者をそろえなきゃだめ。ウィレム・デフォーももちろんそうです。理想主義的なエリート捜査官。たたき上げのハックマンとのコンビ、物語の人物配置としては基本中の基本なんだけど、よかったねえ。基本をやれるって、いちばん大事ですよね。

ウィリアム•フォークナーの故郷であるミシシッピ。最も南部らしいところ。公民権運動というのが、そんなにきれいなものではなかったことも、この映画を観ると少しわかる。

黒人が、人間として扱われていなかったということ。そして、恐れとあきらめで口を閉ざしてしまうこと。FBIの人間としゃべっただけでリンチを受ける。家を燃やされる。吊るし首にされる。そしてそれが容認される。警察も裁判も関係なし。だって黒人は「人間」じゃないから。

フォークナーと同じアメリカ南部出身のウィリアム•スタイロンは、『ソフィーの選択』のなかでそういう奴隷制よりも、ナチスは悪だと言っている。奴隷制の罪を背負いつつ。いろいろ考えてしまいましたね。アメリカという国は、先住民の虐殺と奴隷制で大きくなった国。すべての文化に、それが影を落としている。

フランシス•マクドーマンドが劇中で、人種差別はもともと持っているものではなく教えられるもので、聖書に出ていると小学校で習うと言ったのは衝撃でした。この保安官の妻は、黒人の知り合いもいて、その赤ん坊も抱くし、比較的リベラルな設定です。

彼女はなぜ故郷から出ないのか。彼女は、ここで生まれ、ここで死ぬと言った。アンダースン(ハックマン)は出た人。出た人と出なかった人、出たけれど戻ってきた人。個人的には、それらの文学的な違いを考えていく必要がある。