高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

日記から(ブルース・ベレスフォード『ドライビング Miss デイジー』とハービー・ハンコックのことなど)

2018年の日記から。

 

8月28日 『ドライビング・ミス・デイジー』、なかなかよかった。

こういう映画を作ることのできるアメリカの懐の深さ。そして、ハンス・ジマーのあのテーマ曲。ジェシカ・タンディ(デイジー)とモーガン・フリーマン(ホーク)の友情が一筋縄ではいかないのがよかった。本当に友情が成立するのは、デイジーが完全な認知症?になってから。

それまでには根深い人種差別が横たわる。最初はホークを毛嫌いするデイジー。昔教師だったというだけあって容赦のない、キツイセリフ回し(一語一語はっきり発音)。鮭缶を盗んだ盗まないのときの誠実な態度から少し変わる。墓参りで、ホークにBとR(BAUER)を教えるところなんか、いかにも先生って感じでよかった。

そして、おじさんのところへ誕生祝で行く時のジョージアアトランタ)からアラバマまでのドライブの美しいこと。ここでも、警官に尋問されたり、トイレを使えなかったりといった差別が描かれる。でも一番すごいのは、キング牧師を招いた夕食会に、デイジーがホークを同席させなかったこと。ちなみにこの作品、ユダヤ教キリスト教の差別も横たわる。デイジーは息子の嫁がキリスト教だから嫁が嫌い。

初めてホークの車に乗るシーンがベストで美しかった。歩道を、脇目もふらず歩くデイジー、そこに、ホークの車が右手から現れ、そろそろとついて行く、ここにあのテーマ曲が流れる。この美しさ、涙が出ました。上等の織物を編むような、そんな作られ方をした映画。CGの登場が映画を変えた。アニメとの境界が消えたこと。でも、これが大ヒットしたアメリカという国はすごい。

八月の鯨』もそうだが、老人の扱い方がね。夫人が2階の自室で手紙を書いたりする後ろ姿、ちょっと離れて、俯瞰で撮っている。そうやってこの人の孤独感を表現するとか、うまいなあと思った。しかし、ホークが現れてからは、同じようなカットでも温かく見えるから不思議である。

 

9月2日 昨日、Sさんと行った「東京JAZZ」について。

ハービー・ハンコックは、いわゆる「芸術家」の妖気やオーラは微塵もなく、徹底して普通、自然だった。たとえば、とくに変わった弾き方をするとか、そうしたことが一切ない。それが一番の衝撃だった。気負いとかてらいといか、「芸術」に対するこだわりを捨てると、いや超えると、こうなるのかと。アクが取れて透明になるみたいな。究極の「人間」の姿を見たような気がした。

それにしても、ジャズはやっぱりいい。限りなく自由。それだけ自由になれるかを追究したような音楽。何か言葉を、と思っても、言葉を奪われていく、あまり経験したことのない時間だった。

最初のバンドもよかった。聴いているうちに、この音は絶対にアメリカじゃないと思ったら、アルメニア人だった。何ともいえない暗さというか、重厚感。深い森や湖を思わせるようなジャズ。

それにしてもSさんが、「やっぱり、東欧系かと思った」と言ったのには驚いた。というより、この日は一日、教養の差を見せつけられたと思った。歌舞伎もそうだけど、宝塚とか、ジャズだけでなくライブも相当行っている。だから、私の淡島千景の話も瞬時に理解できたし、アルメニアもそうだし、原節子がロシア系っていうのにも納得していた。育ってきた環境なのか、たかだか10歳しか違わないのに、妙な敗北感。イベントを楽しむ姿勢もそう。でも、久しぶりに会えてうれしかったし、私も、フィッシュ&チップスを食べたりして、楽しんだのだった。

でも、「書いている人には叶わない」という言葉は、こたえた。書かねばならぬ。話はそれからだ。