私は、子どもの頃から、潜在的な自殺願望に悩まされてきた。以前にも書いたが、それが顕在化したのは、大学3年、付き合っていたひとに捨てられたときだった。
それからもう20年以上が経つ。その間、私のすべての意識は、ただ、生きることに傾けられてきた、と言ってよい。死なないために生きるという感じだ。矛盾しているかもしれないけれど。
こんな人間だからか、苦しんでいるひと、死にたいと言うひとが自然と集まってくる。生きる意味は何か、生きている理由は何か、そんなことを聞くひともいる。いまの私に言えることは、生きる意味は誰かが与えてくれるものではない、空から降ってくるものでもない、自分で日々、作っていく以外にない、ということだけだ。それがつまり、生きるということなのだと思う。
私は教員をしている。いままで会ったすべての生徒、学生、その最後の授業で、死ぬな、生きろ、生きるためなら全力で逃げろ、名前を変えて西成ででもいいから生きろ、と言ってきた。そうやって約束することで自分が生きのびてきた、とも言える。若いひととの約束を破ることだけは、絶対にしたくない。
本当は、生きろ、なんて、偉そうに言えた立場じゃない。生きよう、私も生きる、だから一緒にがんばろうよ。その方が、自分の気持ちには近い。
きょうも私は自分を励ます。死ぬな、生きろ、と。それか、誰かを受けとめる。死ぬな、生きろ、生きようね、と。
私には、それしかできないから。