私は、6月に、仙台市で生まれた。
退院するとき、病院から、すずらんの花を一株送られたという。
私はそのことを、かなり後になって、母から聞かされた。
それを聞いたときは、格別にうれしかったものだ。
なぜなら、いちばん好きな花が、すずらんだったから。
おそらく、5月、6月に生まれた子に、その病院では、すずらんを送っていたのだろう。
他の月にどんな花を送っていたかは知る由もないけれど、ほんとうに、6月に生まれたことと、すずらんをもらったということは、運命のように思った。
すずらんは、はじめ、古いアパートの狭いベランダにあった。
その後、我が家は、二度の引っ越しをした。
そのときも、すずらんは一緒だった。
母が、ご丁寧に、持って行ったのである。抜けたところは多いが、こういうことには全神経をかける人だ。
三回目に住んだ家は一戸建で、はじめての庭があった。
すずらんはそこに植えられた。
何年かすると、かつて一株しかなかったすずらんは、庭一面に広く咲き乱れるようになった。
2011年3月11日、東日本大震災の日。
津波ではなかったが、我が家は全壊した。
両親は、避難所で暮らした。
4月に入って、奇跡的に、小さなアパートが見つかり、そこに移り住むことになった。
瓦礫の下から、少しずつ、家財道具を引っ張り出し、少しずつ、新居に運び入れた。
私が仙台にようやく帰ることができたのは、4月も終わりごろ、この崩れた家を明け渡すという日だった。
曇った、肌寒い日だった。
庭の、かつてすずらんが咲いていた場所には、当然、芽すら出ていなかった。
だから、掘り起こして持って行く、ということもできなかった。
あのときは、誰にも、そんな精神的な余裕などなかった。
だが、このことは、思ったよりも長く、私のなかで尾を引いた。
あとから思い出すほど悲しみは増した。
死んだ人と、死んだ風景と、一緒くたになって、すずらんがあった。そのなかには、仙台で暮らしていたころの私がいた。
まったく、何もかも、根こそぎ持って行かれてしまったのだった。
だから、いま、すずらんを見ると、ただただ、うれしい。
私は、すずらんが大好きである。
私にとって、すずらんは、別格の花なのだ。