高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

すずらんのこと――3.11に寄せて

3月である。

今年も、3.11がやってくる。

この日が近づくと、私は必ず、すずらんの花を思い出す。

私は、すずらんが好きである。

すずらんには、特別な思い入れがある。

 

私は、6月に、仙台市で生まれた。

退院するとき、病院から、すずらんの花を一株送られたという。

私はそのことを、かなり後になって、母から聞かされた。

それを聞いたときは、格別にうれしかったものだ。

なぜなら、いちばん好きな花が、すずらんだったから。

おそらく、5月、6月に生まれた子に、その病院では、すずらんを送っていたのだろう。

他の月にどんな花を送っていたかは知る由もないけれど、ほんとうに、6月に生まれたことと、すずらんをもらったということは、運命のように思った。

 

すずらんは、はじめ、古いアパートの狭いベランダにあった。

その後、我が家は、二度の引っ越しをした。

そのときも、すずらんは一緒だった。

母が、ご丁寧に、持って行ったのである。抜けたところは多いが、こういうことには全神経をかける人だ。

三回目に住んだ家は一戸建で、はじめての庭があった。

すずらんはそこに植えられた。

何年かすると、かつて一株しかなかったすずらんは、庭一面に広く咲き乱れるようになった。

 

2011年3月11日、東日本大震災の日。

津波ではなかったが、我が家は全壊した。

両親は、避難所で暮らした。

4月に入って、奇跡的に、小さなアパートが見つかり、そこに移り住むことになった。

瓦礫の下から、少しずつ、家財道具を引っ張り出し、少しずつ、新居に運び入れた。

私が仙台にようやく帰ることができたのは、4月も終わりごろ、この崩れた家を明け渡すという日だった。

曇った、肌寒い日だった。

庭の、かつてすずらんが咲いていた場所には、当然、芽すら出ていなかった。

だから、掘り起こして持って行く、ということもできなかった。

あのときは、誰にも、そんな精神的な余裕などなかった。

 

だが、このことは、思ったよりも長く、私のなかで尾を引いた。

あとから思い出すほど悲しみは増した。

死んだ人と、死んだ風景と、一緒くたになって、すずらんがあった。そのなかには、仙台で暮らしていたころの私がいた。

まったく、何もかも、根こそぎ持って行かれてしまったのだった。

だから、いま、すずらんを見ると、ただただ、うれしい。

 

私は、すずらんが大好きである。

私にとって、すずらんは、別格の花なのだ。