高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

桜木紫乃『ホテルローヤル』

映画は未見。申し訳ないです。いずれそのうちに。今日は純粋に文学のお話。

私は、性にまつわるわびしい話が好きである。こういう部分は、人類の開闢以来たいして変わっていないということを、いろいろな作品を読むたびに再認識させられるからである。私が最初に本格的に研究したのは林芙美子なのだった。この人もそういうのを描くのが巧かった。

そんなわけで、恐ろしく不勉強な自分が、珍しくこの作品に関しては、発表当時に読んでいるのである。2013年に直木賞を受賞しているから、もう10年になるのか。

北海道は広い。北海道は、どこでも雪が深く降ると思ったら大間違いである。札幌なんかはどちらかと言うと日本海側であり、この『ホテルローヤル』の舞台になる釧路は太平洋側。この方面の天候、冬はおおむね乾燥と晴天である。

なぜこんなことを書いたかというと、この『ホテルローヤル』の文章というのが、いわゆる雪国をイメージしてかかると、いい意味で裏切られるからである。おっそろしくパキパキした文体なのである。直木賞受賞のときは、北の、地方の、うらぶれたラブホテルを舞台に繰り広げられる人間模様……みたいな触れ込みで売っていたと思うのだが、そういうべたついた、昭和演歌的な世界ではないのだ。

ちなみに、この短編連作集、各章ともかなり季節感を意識してつくられているなかで、冬だけがないってのも面白い。北海道=冬のイメージを、そこでもさらりと覆している。

とにかく、釧路の、パキパキした空気がよく出た文体なのである(しつこい)。逆に言えば、文体が自然や気候に支配されるということか。人間も少なからず土地に支配されているということで、中上健次などは、もう文体というか存在が土地を体現しちゃったみたいな、稀有な人である。

私は、上方文芸を感じさせるような文章に非常な憧れを持っているのだが(保田與重郎とか佐藤春夫とか織田作之助とか、あとは宇野浩二も。きりがないのでやめる)、しょせん憧れは憧れにすぎなく、どう頑張ってもああいう文章は書けないと思う。 人間、自分の資質を見誤ってはいけない。

で、『ホテルローヤル』。ラブホテルっていいですよね。わびしくて。地方のラブホテルはどこも経営の危機にさらされているようではありますが、そりゃそうでしょ、人口は減っているし、ホテル代も馬鹿にならないご時世ですし、そこまでしてやりたいという人も、何となく、減っているような気がする。

でも、一番しみじみと感じるのは、地方の持つ、どうしようもない閉塞感と貧しさ。北の貧しさ、わびしさって、南方や都市部とはまた違う。かつては近代化を担ったのに、今では取り残された感じの貧しさ、わびしさ。高校や大学に進学する人が少ないっていうことも、物語から透けて見える。でも、みんな一生懸命生きている。たいがいの人が北海道で生まれ、そして死ぬ。海を渡るなどということは、ある意味、途方もないことなのである。

こんな土地で、やることといったら一つしかない。これは北海道に限らず、地方はみんなそうである。子どもも早熟である。だから、ラブホテルが舞台というのは、ある意味では「地方」をシンボリックに描くことにもなる。

そして、「ホテルローヤル」の建物の装飾のちぐはぐさは、そういう土地柄というか、開拓された北海道という土地そのものなんだよなあと、読みながら思ったりしたのだった。 千年続く町の景観を活かして……などという発想はない。かつて北海道に行ったとき、私は何よりもまず、日本の「近代」というものを感じたのでした。