高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

ジョン・フォード『怒りの葡萄』(1940)

言わずと知れたジョン・スタインベックの同名小説の映画化。原作はピュリッツァー賞を受賞している。スタインベックは、広く見れば左派の作家ということになるのだろうが、本当に良いものに右も左もありゃしない。政治や思想信条、宗教などを色眼鏡にして作品を切っていくという立場には、私は一貫して反対する。いや、舌を噛んでもそういう人間にはなりたくないと本気で思っている。

前置きが長くなりましたが、この映画、しみじみ良かったです。これがあのアメリカの1930年代なのか、と思う。凶作と機械化と不況の嵐に見舞われた小作農のすさまじい生活。笑う要素などひとつもなく、かつ130分という長さなのに、まったくそれを感じさせません。

主人公のトム・ジョード演じるヘンリー・フォンダと、母親役のジェーン・ダーウェルがすばらしく、後者はアカデミー助演女優賞を受賞している。うん、納得。

物語は、殺人罪で服役していたトムが出所し、故郷のオクラホマに帰るところから始まる。しかし、上記のような理由から一家はカリフォルニアへ移住することに。ボロのトラックに乗り、夢と希望を抱いてかの地へ向かう旅の道中が前半ということになります。

「ARIZONA」とか「Route 66」とかいう標識のカットを頻繁に差し挟むことでその移動を示す手法が見事。リズムが出ます。映画を見終わった後、すぐさま地図で一家の旅のルートを確認しましたが、いやはやすごい距離。

そして、この旅はかなり過酷。早々と祖父が死ぬ。葬式代もないため道端に埋葬するしかない。ここでトムが、「これは殺人ではない」などと死んだ事情を記したメモを瓶に入れて一緒に埋めるのですが、その字がひどく拙いのが泣ける。芸が細かい。その後、カリフォルニアを目の前にして祖母が死ぬ。娘婿は行方不明になる。 行く先々で差別の嵐。

でも、一家の貧しさを見て、ドライブインの女主人が1本5セントの飴を2本で1セントだよ、と嘘をついて売ってあげたりするところとか、捨てる神あれば拾う神あり、でもあります。

そもそも、「怒りの葡萄」というのは聖書の言葉なんですよね。一家の移住というのは、まさに「出エジプト記」で、カリフォルニアは「約束の地」。そういうのを踏まえているから、一見、時代を如実に反映したような作品でも、それを超えた重厚感がある。

ひとつ新鮮だったのが、故郷も含めて、土地に執着するのがことごとく男どもだということ。まさに、こんな感じで土地を開拓して出来上がった国がアメリカなんだよなあと思いました。そして、国というものが、いろいろな犠牲(はっきり言えば庶民だ)の上に成り立っているのだということをあらためて感じた次第であります。

さてこの映画、トムの一家がようやくカリフォルニアへ着いたところから後半部分ということになりますが、本当にすごいのはここから。結局、カリフォルニアは決して「約束の地」などではなかったわけです。魅力的な広告にだまされてやって来たものの、仕事に就けない民衆で溢れかえっている。

一家はとりあえずこうした「難民」のキャンプへ向かうのだが、この場面は衝撃的。人の波をかき分けてトラックがゆっくり進む。人々がそれを見つめている。もう、その眼が! NHKの『映像の世紀』なんかで見たことのある、実際の難民そのままの、絶望の眼差しなんですよね。いったい、絶望にまさる地獄というものがあるでしょうか。トムは「ここはひどい」とつぶやくのですが、まさにその通り。

母親が料理を始めると、キャンプ中から飢えた子どもたちが集まって来る。もちろんこれは映画であって、現実はもっとすさまじいはず。しかし、だからこそ、と言おうか、まさにギリギリのラインで「表現」しているのがわかるのです。物語の骨格の確かさと細部への気配りがすごい。これぞドラマ、という感じ。

この後、一家はようやく桃の収穫という仕事にありつくも、ストライキの計画に巻き込まれたトムが再び殺人を犯してしまいます。そこを逃れ、別のキャンプに移動し、ようやく環境も良くなったと安心したのも束の間、トムには警察の追手が。彼は家族に迷惑をかけないようにと、夜中にこっそり逃げようとする。そこを母親に見つかる。

この、息子と母の別れのシーンが秀逸。トムは、逃げて、捕まるまで、できるだけこの世界の現実を見たいと言う。どこへ? と問う母に、トムは、みんなのそばに、とか、民衆の怒りのなかに「僕はいる」と告げるのですが、この「I’ll be there」のリフレインは、映画史上でも最も美しいセリフのひとつではなかろうか。

ヘンリー・フォンダというのは本当にたいした役者ですよ。母親のために「赤い河の谷間」を歌うシーンがあるのですが、不覚にもここで私は涙してしまいました。素朴な息子の愛情が声に乗っている。

ところで、この映画、一家が再び旅に出るところで終わるのですが、映画会社がジョン・フォードに断りもなしに勝手に付け加えたという「民衆は生きるのだ」みたいなセリフがあって、それが唯一の失敗でしょうね。ほんと、それまでの映画の内容を台無しにするレベルで、今思い出しても腹が立つ。そんな薄っぺらなスローガンなんかなくたって、この映画は十分に成立します。観客は馬鹿ではありません。