高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

豊田四郎『駅前旅館』(1958)

ぜいたくな映画。とんでもない人がチョイ役で出ている。女子高生役の市原悦子女工(死語)の野村昭子……って『家政婦は見た!』か。

その他にも、森川信(大好き!『男はつらいよ』のおいちゃんはこの人しかいないと思っている。唯一、本質的に寅と同レベルの人間である。他のおいちゃんだと、どうも寅だけが馬鹿になってしまう)、草笛光子山茶花究……でも一番笑ったのは女工の監視役の浪花千栄子。いやー、うますぎる。この人が出るだけでハズレはないという稀有な存在。

私は淡島千景のファンなんですが、この映画の彼女はよかったねえ(誰に言ってるんだ)。かわいい、色っぽい、かわいい……が無限に続く。この時34歳ですか。森繁とはやっぱり名コンビですね。何かとケチをつけたがりの私もそれは文句なしに認めます。宿命的に、スクリーンの上では夫婦なんだね。そういう星の下に生まれて来たとしか言いようがない情感。空気。絶妙な間。

こういうことがあるんだなあと思いましたね。まさしく虚構の妙です。

そしてこの役がまた合ってるんですよ。気風のいい江戸っ子。粋な役がほんと似合う。そして、少しばかりしゃがれた声がいい。煙草を吸ってるのわかる。その声で、恐ろしいほど芝居をする。声に明らかに生命(感情?)が宿っているのである。「ねえ」と呼びかけるだけでも無限のパターンがある。

さて、主演の森繁久彌。実はこの作品、森繁は喜劇らしい芝居をほとんどしていないんですね。これなら、いわくつきの『小早川家の秋』の役の方がよっぽど喜劇的。

私は、熱演が苦手で、頑張っている感じの喜劇はとくにだめなので(だからごめんなさい、この作品にも当然出ているフランキー堺とかには言及しません)、どこか余裕がある、遊びがある森繁の演技が好きなのです。向田邦子が「余白の魅力」って言ってたっけ。そこが淡島千景と合うんだろう。彼女の場合、7割ぐらいが自分でつくった演技で、3割は相手や状況まかせって感じがする。したがって、無駄な熱演はない。 

余白や余裕って、頭の良さと育ちの良さかなあ……と感じるときがあります。 

さて、この映画で感心したのは、夜まわりの場面。カメラは、遠くから、拍子木を叩くお辰(淡島千景)を撮る。シルエットに近いようなその姿、拍子木の叩き方、そして声で、一瞬にしてこのお辰が、ちょっと年を重ねた女としてのさびしさ、むなしさを抱えていることを鮮やかに浮かび上がらせる。

それが、このあとの治平(森繁久彌)とのラブシーンの伏線になる。 結局、さびしい者同士の結びつきなんですよね。そのさびしさがもうね……。

でも、ラストで、同じ馬車に乗らない二人は、結局一緒にはなれないことを象徴している。どこまでも並行して進む二台。

のちの大量生産的な「駅前シリーズ」に比べれば段違いに丁寧に作られているし、面白かったんだけど、オールスターすぎてちょっとうるさい面もあり。

井伏鱒二の原作はもちろん原型をとどめてはおりません。まあ、豊田四郎ですから。