怪作である。渋谷実にも一脈通ずる、都会派の、諷刺のきいた喜劇。ただし、喜劇と言っていいのだろうか、と躊躇する場面がいくつもある。いわば悲喜劇なのである。だから、決して明るくはない。そこがすごいのだ。
私は伊藤雄之助という俳優が大好きで、それはこの『プーサン』の演技によるところが大きい。この人、とにかく何をやっても面白い。容貌のせいだけではないのである。
この映画、ちょっと筋の説明のしようがない。いや、あるんですよ、あるんですけど、あまり意味を成しません。原作は横山泰三の4コマ漫画で、主人公を通して当時の世相を風刺したもの。したがって一番面白いのはその世相の部分なのです。
プーサン(映画では野呂米吉)は主人公でありながら視点人物。この人、普通に、むしろ一生懸命生きているだけなのに、次々とまわりの事件に巻き込まれていく。なお、まともな人は登場しません。たぶんプーサンが一番常識的。だからこそおかしいわけだ。
そしてヒロインは越路吹雪(カン子)。大スターである彼女、映画ではあんまり成功しませんでしたが、このカン子はとても良かったです。ちなみにわたくし、喜劇ができる人はもれなく良しとするタチなので、あんまりアテにはなりませんが。このカン子の母親役が怪優・三好栄子で、頬骨のあたりが妙に似ているので笑えます。本物の親子に見える。
では、筋が書けないので、印象に残ったシーンをピックアップ。
〇セコイ医者の役をやっている木村功、初めて、いい役者だと思った。この人は二枚目なんかより、こういうチンケな役が似合う。手首を怪我したプーサンの服を脱がせて、内科の診療をするところなんか、大笑いである。この人の弁当の包み紙(新聞紙)が、「スターリン死去」となっているのにも笑った。芸が細かい!
〇小林桂樹の巡査。交番に次々とやって来る拳銃や包丁を持った殺人犯には、てきぱき、こともなげに対応するのに、子どもが殺したネズミを見て卒倒する。小林桂樹はほんとにいい俳優。だって、喜劇ができるもん(しつこい)。
〇菅井一郎演じる政治家。権力にすり寄る変わり身の早さ。彼は戦記物を書いてベストセラーになり、代議士に。でも選挙違反で捕まる。せっかく建てた豪邸は、ラスト近くでは温泉マーク(これがわかる人、どのぐらいいるのだろう)になっている。しかしその直後、彼の書いた「牢獄記」の広告の立て看板がずらりと並んでいる風景。最初の戦記物と同じ感じで。日本人の無節操さ、無責任ぶりを徹底して笑いに変えています。すごいねー。
〇失業、朝鮮戦争による特需、ストリップなど、こんなに、この時代の混迷を活写した映画は初めて見たぜ……。
〇加東大介が珍しく悪役に扮している。いかにも闇屋あがりのヤクザっぽい男が、学校経営をし、院長をやっているという…。これが当時の「日本」だったんだよなー。
〇失業したプーサンに漂う哀愁は、イタリアの『自転車泥棒』を思い出す。多分、影響があるんじゃないかな(ちなみにこちらの日本公開は1950年)。でも、前半は笑えるのですが、後半、プーサンが失業してからは、素直に笑えなくなってきます。多分、当時の日本人、今も一部の人なら、身につまされるのではないか。プーサンが頭にキャベツを乗せて、「気が狂えたら…」と言うところとか。
〇市川崑は、本当にベタつかない映画を撮る。スラップスティック的なところ、ナンセンスな笑いが随所にある。ラーメンにコショウを振りかけ過ぎるプーサン。ポケットから次々新聞を取り出すプーサン。いったいどれだけ新聞を入れているのかと。喜劇の基本をきっちり抑えています。さすが。
〇一番印象的だったシーン。警察に、中年男の首つり(一瞬、プーサンかと思う)と、若い女(カン子)の服毒自殺の通報が同時に来る。しかし、警官は全員、若い女の方へ行ってしまう。首つり自殺の通報をした男は、寒さのなか、提灯を持って、いつまで待っても来ない警官を待ち続ける。その奥には、首つり男のシルエット。このシーンはすごかった。美しく、不気味で、こちらの笑いが一瞬、凍りつくのである。
喜劇というのは、タブーを笑うことにあると再認識。つまり、喜劇は、何よりもまず強くなければできないのである。