高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

ビリー・ワイルダー『深夜の告白』(1944)

とにかく、脚本がすばらしい。ビリー・ワイルダーレイモンド・チャンドラー。うん、確かにチャンドラーっぽい。脚本の書ける監督はやっぱり違うのだ。

保険外交員のネフ(フレッド・マクマレイ)が顧客の妻であるフィリス(バーバラ・スタンウィック)の虜となり、二人は彼女の夫に保険金をかけて殺害する。映画は倒叙法で、深夜のオフィスでネフが犯行を告白、それを録音していくところから始まる。

むかしの映画の良いところは、とにかく短いことである。面倒な手続きなんかいらないのである。ネフは一瞬でフィリスに魅かれるのだが、それは、初対面の彼女が階段を降りて来るときに目に入った、アンクレットを着けた足首からなのである。色っぽいねー。

ところで、見ているうちに、何だか『死刑台のエレベーター』に似ているなあと思ったら、案の定、この映画を含むアメリカの「フィルム・ノワール」と呼ばれる作品群は、その後のフランス映画に大きな影響を与えた、とのことであった。

ただ、『死刑台のエレベーター』よりは甘い。それは、悪女役であるバーバラ・スタンウィックと、ジャンヌ・モローの差。アメリカとフランスとの違いと言えばそれまでだけど、私は、肝心のクライマックスで、ひどくがっかりしてしまったのであった。

夫を殺したはいいものの、真相の発覚を恐れるあまりに、ネフとフィリスは疑心暗鬼になっていく。犯行を知っているのはそれぞれの相手だけなので、口を封じてしまえば永久に真実はわからない。ネフは、フィリスが最初から夫を殺すつもりで自分を誘惑したこと、彼女の計画にまんまと乗せられてしまったことを知り、とうとう彼女を殺してしまいます。フィリスはネフに拳銃口を向けるものの、撃てません。「あなたを愛してしまうなんて」という言葉を残して、無防備なかたちでネフに撃たれます。

ところが、ここで私は思わず、

「そりゃないでしょおおおおおおお!」

と叫んだのでした。

ねえ、どうして最後に「いい人」になるの? つーかなんで最後に普通の女になってるの? 悪女なんでしょ? どうせなら最後まで、悪女の道をまっとうしなさい!

ここに至るまでのバーバラ・スタンウィック、表情もほとんどなく、何を考えているかわからず、とってもいい感じだったのに。何だか台無しである。そして私は、いやー、やっぱりジャンヌ・モローはすげえや!と、変な納得の仕方をしたのでありました。悪女でも救おうとするのがどこかアメリカ的なんだよなあ。ヨーロッパ映画はけっこう身も蓋もないからなあ。

この映画で見事だったのは、ネフの同僚で、腕利きの調査員のキーズを演じたエドワード・G・ロビンソン。彼は長年の経験から、フィリスに疑いを抱く。ネフの告白は、キーズに向けて録音されたものだったんだねー。ところで、このキーズとネフの友情、これがまたチャンドラーっぽい。彼の作品によく描かれる、半ば同志(同性愛)的な友情。ネフは最後、キーズに見守られながら死んでいく。これが愛でなくてなんでしょうか。