高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

岡田茉莉子『女優 岡田茉莉子』

    岡田茉莉子は、私の大好きな女優さんなのだけれど、忘れもしない、最初の出会いというのは、子どもの頃に観た角川映画人間の証明』でありました。

   そしてその時の印象はと申しますと、ただひたすらに「怖えええええええええ」でしかなかったのであります。

 あの映画は、そう、何度も差し挟まれるアメリカ兵による強姦と暴力のシーンが、子ども心にも大変ショックなのでありました。 往来で暴行を受ける女、そして止めに入る男。男は逆に集団でリンチを受け、倒れたところに最後は小便(ここはあえてこの言葉を使った方がよい)をかけられるという何とも胸糞の悪いシーンで、通行人はこの一連の出来事を見て見ぬふりだったはず、確か。

 そして、重要な役どころの茉莉子様と来たら、何せあのたじろぐような眼の大きさと、いささか隈取ったようなメーキャップでして、幼い私にとってはあの映画そのものといっていい存在となったのでありました。

 ゆえに、私の脳内では、いまだに、『人間の証明』という文字を見ただけで、自動的に岡田茉莉子と暴力シーンと「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」(松田優作)と「Mama,Do you remember」(ジョー山中)が渾然一体となって再生されます。

 それから長い間、岡田茉莉子は直視することすらできない怖い存在であったのだけれども、それがすっかりあらたまったのは、小津安二郎の『秋刀魚の味』を観てからでした。中学校のときです。

 茉莉子様は、佐田啓二とは共働きの夫婦で、主人公である岩下志麻の義姉という役どころ。見事に、二枚目半から三枚目の、コメディパートを担っていた。それが何とも可愛らしくて、あの大きな眼も決して怖くはなく、むしろ最大級のチャームポイントになっていて、それで私はすっかり岡田茉莉子が好きになってしまったのでした。

  だいたい私は、理屈抜きに喜劇が好きでして、したがって喜劇をやれる役者が好きであります。だから、成瀬己喜男の『流れる』の茉利子様とかが好きです。アプレ(死語)芸者が板についていました。  

 『女優 岡田茉莉子』は、そんな彼女の自伝。一気に読破しました。いかにも彼女らしい、鼻っ柱の強い文章であります。あ、こう書くと誤解されそうだ。

 正確には、読んでいただけるとわかるのですが、全体的にはたいへん抑えた筆致でありながら、時折、突然に太い鞭が飛んで来るといった感じです。読みながら私は、夜中のふとんのなかで何度もピシピシやられました(顔面を)。

  そして、びっくりするほど真面目かつ真摯なのです。岡田茉莉子の女優としての遍歴は、それだけでそのまま日本の映画史です。実際にデビューしたのが戦後だったとしても、彼女の場合、父親があの岡田時彦。父親を背負って生きている以上、自動的に彼女は映画史を生きることになるというこの不思議。

 感動的なのは、先日お亡くなりになった夫である吉田喜重監督への理解と愛です。まったく、人間は、性別を問わず、最大の理解者が生涯の伴侶となること以上の幸せはないのではないかと思わされます。乙羽信子新藤兼人や、岩下志麻篠田正浩しかり。ああ、うらやましい。

 自分だけは吉田監督の映画を正しく理解できるという、揺るぎない自負、とにかくすごかった。

 私は吉田喜重の映画をきちんと観直したいと思ったし、その本も読みたくなりました(昔、『小津安二郎の反映画』を読んだとき、その文章に激しく嫉妬した記憶がある)。それだけで、岡田茉莉子は女優であるだけでなく、良妻であると同時に、すぐれた批評家でもあるのです。

  そう、この本で何よりも光っているのは、演じつつもどこか醒めた眼で作品や監督を見ている、あの岡田茉莉子のギョロリとした眼なのであります。

 やっぱり、ゲージュツなるものには、批評精神がないと、だめです。