高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

アーサー・ペン『俺たちに明日はない』(1967)②

つづき。

 いいシーンだなあと思った場面がひとつ。逃避行の最中、ボニーが、「ママに会いたい」と言うところ。個人的な好みですが、少女性を表現できるって、女優さんとしては非常に大事な資質だと思う。あ、くれぐれもロリコン的な意味ではないです。そしてクライドは、危険を承知でその願いを叶えてやるわけですよ。このつかの間の、家族のピクニックの場面がすばらしい。ものすごく非現実的な空間で、映像もちょっともやがかかったような感じ。全員が黒い喪服のようなものを着ている。

本当にこの場面は不思議だった。罪を犯しながら逃避行を続ける場面はくっきりはっきりとした映像、でも刹那的な生き方。家族が会する場面はうすぼんやりとした非現実的な空間、でも、ピクニックという行為が象徴しているように、大地に根を張っている姿。いったいどちらが本当なんだ? 現実なんだ? と思わせるような効果がある。

しかし、この映画、ほんとによく人が死ぬ。たび重なる銃撃戦に、お母ちゃんはこんなことをさせるために生んだんじゃないよ、とか、いらぬことを考えてしまう。この映画の音楽は、バンジョーがメインで、これがものすごくアメリカ的というか、のどかーな感じなのですが、それが凄惨な場面に使われるセンスの良さ。

ほんと、生き急ぐというか、生命をやすやすと踏みにじり、捨てて行くところが、この映画のテーマでもあるわけですけど、その刹那的な感じというのは、すごくよくわかる。こういうエネルギーの放出のしかたが、わかる。追われることでビビっているのに、どこか面白がっている。だから、あのあまりにも有名な、二人が蜂の巣にされるラストシーンも含めて、今でも全然古くないですよ。

さて、最後に、映画の筋とは何の関係もないが、個人的にきわめて重要なことを書いておく。

はじめて人を殺してしまったあと、ボニーとクライド、モスの三人が、映画館に入ってこれからどうするかを相談するシーンがあるのですが、なんとここでかかっているのが、1933年に公開された『ゴールド・ディガース』なんですね。しかもだ、冒頭のあの有名な、我がジンジャー・ロジャースが"We're in the Money" を歌うシーンなんですよ! わたくし、思わず悲鳴をあげました。 しかし悲しいことにジンジャーは映らず、画面の中には彼女の歌声だけが(虚しく)響く……わたくし、歯ぎしりしながら見ました。

 なお、映画館からホテルに戻ったボニーは、楽しそうに"We're in the Money"を歌います。ジンジャーの映画(主演じゃないけど私のなかではそういうことになっている)は、当時、こんな感じで流行ったんだろうなあ。それは、私としては映画の内容とは全く別に、甚だしくうれしきことでありましたよ。