高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

エリア・カザン『波止場』(1954)①

ニューヨークの港湾労働者の世界におけるマフィアの暗躍と、それに立ち向かう主人公の青年を描いた物語で、この年のアカデミー賞では作品賞、監督賞、脚本賞(バッド・シュールバーグ)、主演男優賞(マーロン・ブランド)、助演女優賞エヴァ・マリー・セイント )など8部門を受賞した名作。しかし、個人的には、映画の内容ははっきり言って青臭い。底辺というのは、もっとすさまじいものと思います。

にもかかわらず、この映画がすばらしいのは、これまた個人的な感想ですが、ひとえにマーロン・ブランド演じるテリーと、エヴァ・マリー・セイントのイディの関係性にあります。まったく、久しぶりにせつなくなりましたよ。私は、せつないという感情に弱い。

なお、以下、独断と偏見、そして好み丸出しで、その二人の関係とラブシーンにだけ言及して参ります(すみません)。

テリーというのは元ボクサーで、今ではマフィアの手先にまで成り下がっている。彼がボクシングをやめるきっかけになったのは、すでにマフィアの一員であった兄・チャーリーの言いつけに背くことができなかったから。その傷というのは、彼のなかから消えてはいない。それにしても何でしょう、底辺に生きざるを得ない人間が負った傷というのは、エリートのそれよりはるかに胸が詰まる。ま、個人的な好みかもしれませんが。

そのテリーが、幼なじみのイディと再会して、ちょっとずつ変わっていくわけです。この、二人が心を通わせていくプロセスは、ものすごく繊細な演技の積み重ねによって生まれている。ちょっとした目の動きとか、不器用な手つきとか、そんなレベルで。だからものすごい説得力がある。明らかに、戦前の映画とは違います。

だいたい、マーロン・ブランドって俳優は、その外見からしていかついし、こう言っちゃあなんだが、婦女子を手込めにしそうな雰囲気満々。それが、イディに対しては、まあ初恋だというのもありますけど、まるで大むかしの純情な中学生みたいな振る舞い。

それは、イディという人間の性格や、その雰囲気も大きい。とにかく真面目。お堅い。ほとんどノーメーク。ひっつめの髪。質素な服装。今は(よりによって、と言うべきか)カトリックの学校の寄宿舎に入っている。ほとんど栄養不良の雰囲気を漂わせている。しかしこの気高さが、荒んだテリーの心を溶かしていきます。

そう、イメージとしては、まさに「マリア」なのである。

 つづく。