高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

ジョー・ライト『プライドと偏見』(2005)②

①からのつづき。

しかし映画は映画でこれ楽しめばよいわけで、実際、面白かった。これはイギリスじゃなきゃできないよなあと思う。実際、制作も出演者もほとんどすべてイギリス人。アメリカじゃどうにもならねえっす。伝統の重み。あとは、自然であるということ。アメリカ映画大好きですけど、あのハリウッド的というか、人工甘味料や着色料をふんだんに使ったような世界は、この作品にはそぐわないですね。

ドナルド・サザーランド演じるエリザベスの父と、ダーシーの叔母・キャサリン夫人のジュディ・デンチ(すごい迫力)が画面を引き締める。そして、ヒロインのキーラ・ナイトレイは本当に美しかった。エリザベスは貴族ではない。でも、そのアースカラーを基調とした質素な服がものすごく似合っていた。私のイメージするエリザベスではないが、そんなことはどうでもよろしい。わずか20歳で、しかも世界文学史上に残る一大ヒロインを演じきるなんて、それだけでも立派。

キャスティングはどれも申し分なかったです。個人的には、ダーシーの親友でエリザベスの姉に夢中になるビングリー(サイモン・ウッズ)のボンボンっぷりと、エリザベスに打算的な結婚を申し込む牧師のコリンズ(トム・ホランダー)が良かった。とくに後者は、女に好かれる要素が何ひとつない小物ぶりが巧すぎて、しかもどうでもいいことですが、ナイナイの岡村さんに気味が悪いほど似ています。

それにしても、向うの金持ちって桁外れだよあ。何だよあのダーシーの家。いや、家じゃないな、城だ、城。そして、イギリスの風景の何と美しいことよ。『高慢と偏見』や『嵐が丘』が生まれるのもわかるよ。あの景色が作家の想像力を育んだことは容易に想像できる。

ところで、原作と映画の違いに関して最後にもうひとつ、どうしても言わねばならないことがあります。

たとえば登場人物、細部に至るまで描かれたエリザベスの母親や妹たちのあつかましさ、無教養、田舎者っぷり(あえてこう書く。だってオースティンがそれを狙って書いてるんだもん)。高慢や偏見に毒された男女がどうやって判断を誤っていくかという精緻な心理分析。そこから生まれる恥ずかしいような手痛い失敗。数え上げればきりがありませんが、原作は、実はかなりシニカルなんですね。

映画ではそれがどうしても薄く、エリザベスとダーシーのロマンス(いや、もはやメロドラマになっておった)に収斂してしまう。女性作家には必須条件とも言えるオースティンの、いい意味での「意地の悪さ」が発揮されないのは、仕方がないとはいえ、残念に思ったことです。仕方ないんだけど。とくに、その意地悪さを愛している私としては。だってオースティンってば、ヒロインのエリザベスにしても若干「ざまあ(笑)」って目で見てるもんなあ。