高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

言葉は、奪えない

この年まで生きてきて、それなりにいろいろあったが、言葉だけは、誰にも奪えなかった。言葉だけは、わたしのものだった。いや、わたしが、言葉そのものだった。

今までにも何度か書いてきたが、わたしは両親が不仲の、暗い、殺伐とした家庭に生まれ、育ってきた。そのことについてはもう繰り返さないが、つらかったことのひとつに、両親からの言論弾圧があった。

そんなことを言うな。これはいまでも父の口癖である。家のなかでは、父の気に入らないことは話題にしてはいけなかった。ひどいと平手が飛んできた。母は、ひとことで言えば愚痴の人。わたしのことばを聞くことなど、なかった。

ほんとうの言葉は、いつも、本のなかにしかなかった。生きた人間の言葉は、いつも皮膜がかかったように、遠かった。わたしが文学の人間になるのは、必然だった。

ところで、わたしはノンバイナリーである。幼い頃から、男言葉と女言葉をちゃんぽんにして使っていた。いや、それだけではない。仙台人でありながら、関西弁も話す。おかしなイントネーション。語句の選択。それが、母の気に入らなかった。女の子らしい言葉遣いをしなさい。何度、そう言われてきただろう。

ところが、である。両親に恐怖を感じ、愛に飢えていながら、言葉遣いだけは、ついに直すことができなかった。わたしの魂が死守したのかもしれない。言葉だけは、いつだって、わたしのものだった。

それからも、言葉を奪われそうになることは何度も続いた。職場。付き合った人たち。わたしの言葉を侵略してきた人たちは、いつしかいなくなった。わたしはひとりになった。しかし、言葉だけは変わらなかった。魂が死ぬような経験をしても、言葉だけは、生きていた。

言葉を奪うことは、悪である。言論弾圧は、人間の魂を殺す。精神の自由の基本には、言論の自由がある。

わたしは、大学教員だ。文学を教えている。自分の授業のモットーはたったひとつ。誰の、どんな読みも否定しないこと、この場でだけは何を言ってもよいこと。

いまの恋人は、わたしの言葉を一切侵略しない。弾圧もしない。それどころか、何を言っても面白がってくれる。悪罵さえ、楽しそうに聞いている。あまつさえ、褒めてくれるのだ。そして、会話は無限に発展していく。嗚呼、こんな幸せがあっていいのだろうか。ようやくわたしは、心の安定を得た。

わたしは相変わらず、わたしにしか使えない言葉で話し、書く。それは死ぬまで変わらないだろう。わたしの言葉は、誰にも奪うことはできない。だって、わたしが、言葉だから。

ウディ・アレン『ブロードウェイと銃弾』(1994)

『ブロードウェイと銃弾』、ウディ・アレン。このひとについて発言するのは勇気がいる。作家の人間性と作品は同一視すべきなのか、完全に分けて考えるべきなのか。永遠のテーマ。でもこれを観たのは、この監督のあの問題が発覚する前のことで、日記にメモも取ったものなので。せっかくだから公開します。まあ、たいした内容ではありませんが。

まず、1920年代の狂乱の時代を象徴する、アメリカのミュージカルが花開いたことと、マフィアの抗争をからめたのがすごいですね。ウディ作品のなかでも、こんなに、脚本がすばらしいと思うものはないんじゃないか。そのぐらい、絡ませ方がすごかった。

そして、なかなか怖いテーマが描かれている。芸術をとるか生活をとるか、天才と凡人の違い。

芸術家を自認する主人公デヴィッド(ジョン・キューザック)は、ようやく自分の脚本を上演できる運びとなるが、そのスポンサーがマフィアの親分ニックで、愛人オリーブをいい役に振り当てることが条件。この、コーラス・ガール上がりの愛人がまたいかにもウディ作品らしい女で、巧い。キャラとしては『ラジオ・デイズ』のミア・ファローに近い。キンキン声まで似ていやがる。何というかまあ、知性のかけらもないお馬鹿さんなのです。

そして、かつての大女優ヘレンが、もう明らかに『サンセット大通り』のグロリア・スワンソンなわけで、すっかりうれしくなってしまう。主人公との関係も明らかにパロディ。それから、過食気味の俳優(稽古期間中にどんどん体型が変わっていく)が出演。一癖も二癖もある連中が集められる。

そこに絡んでくるのは、マフィアの子分チーチ。これが実はとんでもない才能の持ち主で、彼のアドバイスで脚本はどんどんよくなっていき、いざ公演となると大評判になる有様。主人公は最初は拒絶するも、チーチの天才ぶりに何も言えない。しかもチーチはそれを誇りもしなければ、ましてや俺の作品だなんてことも言わない。純粋な芸術家なんですね。

ところがそこから劇的なドラマが待っている。名を成すことには執着のないチーチ、しかし下手くそな親分の愛人の演技に我慢がならなくなり、ついには殺してしまう。そしてそれを知った主人公は、「人として許せない」と怒る。私はここで寒気がしましたね。チーチが本物の芸術家であり、主人公はどこまでも凡俗な人間であることをこんなに鮮やかに浮き彫りにするとはね。

チーチは最後、ボスに殺されますが、息絶える前の最後の言葉が、劇のラストのセリフの手直しという徹底ぶり。なお、チーチの父親(この日本語、音韻的にどうだろうか)もオペラ好きで、気に入らない歌手をボコボコにしたという過去があります。芸術家の血なんだな。

主人公は大女優との恋愛も、劇作家になる夢も捨て、かつて苦しい時代をともにした娘と結婚することにする。

しかし、こういうストーリーを追ってもあまり意味はなくて、映画自体のテンポの良さで、芸術家と凡人がどんどん相対化されていく、それがすごいのですよ。しかも、どっちにも偏らない。ゆえに、ラスト、恋人と抱き合う主人公の映画的なハッピーエンドは、「これでいいんだよ我々は」とも思わせるし、徹底的に凡人を皮肉っているようにも見える。

1920年代らしい音楽(というかこの監督の音楽のセンスは毎度ながらすばらしい)。コール・ポーターユージン・オニールとか、知っている人にはうれしい名前が目白押し。

ウディ・アレンの映画、とくにセリフの面白さをもっと理解できるようになりたいな。主人公が売れない仲間と飲んでいる時のセリフ「彼の作品は天才的なんだ、だって彼にしか理解できないんだからね」とか。こういうの、日本人俳優で演じられる人がいるだろうか。

あと、画面構成がいちいち完璧です。映像に欲情する、そんな感じを久しぶりに味わいました。また観たい。

言葉の快楽② 谷崎潤一郎のこと

言葉の快楽、文学と官能について考えようと思い立ち、まず脳裏に浮かんだのは谷崎潤一郎のことであった。私は某大学の授業で1920年代から40年代の文学を読む、というグループディスカッションを中心とした授業をやっているのだが、その柱に置いているのが彼の「春琴抄」(1933)なのであった。まったく、傑作と呼ぶにふさわしい、読めば読むほどすごい作品であるが、学生の反応はまちまちで、耽溺する子もいれば、嫌悪をもよおす子もいるようである。まあ、それでいいのである。

春琴抄」が評判になっていた当時、西田幾多郎が弟子に感想を聞かれ、「何しろいかに生くべきかが書かれていないからね」と言ったエピソードはあまりにも有名だが、私はこのいかにもインテリらしい発言が大好きで、大嫌いである。崇拝し、惚れ抜いた女の醜くなった顔を見ないために針で目を突いた佐助の生き方、生半可な知識人よりもよほど骨のある生き方を示していると思うのだが。インテリはあれをする時も偉そうに哲学を語るのか。

さて、谷崎潤一郎とエロティシズムを考えた場合、これが意外と、あっさりさっぱりしていると感じるのは私だけであろうか。それは結局、文章に秘密がありそうなのである。官能を表現するには、谷崎の文章はあまりに一本調子でありすぎる。「陰翳礼賛」なるものにしても、はたしてあれに陰翳があるであろうか。上方文芸を王道と考える保田與重郎は終生谷崎を認めなかったが、それは私も賛成である。谷崎のエロティシズムは本質的に明るく健康的であり、隠微な世界を描くのには向いていない文章である。

そして、意外にも、谷崎は恋愛小説を書いていない。それは女性作家が鋭く解き明かしたことで、三枝和子は『恋愛小説の陥穽』で谷崎文学を批判しているし、彼が書いた恋愛小説は唯一『猫と庄造と二人のをんな』だけだと『谷崎文学と肯定の欲望』で言った河野多惠子も、それはまったく正しかった。庄造と愛猫リリーの睦み合いは、谷崎のどんな小説よりも優れて官能的である。人間同士ではこうはいくまい。

春琴抄」に話を戻そう。盲目の三味線奏者・春琴に丁稚の佐助が献身的に仕えていく物語だが、やはり読みどころは、顔に熱湯をかけられた春琴の顔を佐助が見まいとするこの場面であろう。

「お師匠様私はめしいになりました。もう一生涯いっしょうがいお顔を見ることはござりませぬと彼女の前にぬかずいて云った。佐助、それはほんとうか、と春琴は一語を発し長い間黙然と沈思ちんししていた佐助はこの世に生れてから後にも先にもこの沈黙の数分間ほど楽しい時を生きたことがなかった」

ときは昭和8年、世の中には軍国主義の足跡が聞こえていた。谷崎は、自己の美学に準ずるためにもこの作品を書いた、と言わざるを得ない。すなわち、自分は醜い現実は見るまい、ということ。

物語の途中、春琴は佐助の子どもを妊娠・出産するが、二人はあくまでも主人と丁稚、師匠と弟子の関係を崩さず、男女の肉体的なつながりを頑なに否定する。私はここが最高に素晴らしいと思っている。時代的な表現の制約もふまえ、春琴と佐助のセックスは一切描かれない。しかし、春琴が生んだ子どもは間違いなく佐助の子である。はたして、この二人の、閨房での関係はどうなっているのであろう。つまり、文章では、そこがすっかり空洞になっているのである。したがって読者は、どんな場面を想像することも可能になっているのだ。もしかしたら、サディズムマゾヒズムのの関係が逆転しているのかもしれないとか、やはり春琴はあのまま傍若無人なのではあるまいかとか、どんな妄想をしてもよいのである。やれ、楽しや。これがあったればこそ、「春琴抄」は傑作たり得たのではあるまいか。

教訓。エロは見せるにあらず。隠すに限る。

言葉の快楽(連載するかもしれません)

言葉は、ひとつの快楽である。読む快楽がある。書く快楽がある。私は言葉に欲情する。

そんなことに気づいてから、実はずっと、自分は、言葉の持つ官能性を追い続けてきたような気がした。たとえばここに、永田守弘の『官能小説の奥義』(2007)という本があるのも、こうした関心のひとつの表れだろう。「はじめに」には、官能小説(ポルノ)と文学の違いについての言及があって、そこにはたとえば、「中上健次の小説にも、濃厚な官能描写が頻出するが、彼が書きたいことは、そこにはないことを、読者はちゃんと知っている」とある。また、「向き不向きはあるが、小説家は誰もが、一度は官能小説を書いてみたいと思っているふしがある」「小説を書くからには、人間の根源的で支配的な欲望である性について挑戦してみたいと思うのは当然だろう」と書かれていることにも、私は全面的に賛同するものである。

こうした問題は、必然的に「文学とは何か」ということを考えざるをえないのであって、私は現在、これについて、「何かに命をかけること」と答えることにしている。それは三島由紀夫が傾倒したジョルジュ・バタイユの「エロチスムとは、死を賭するまでの生の讃歌である」という思想にも通じるものだろう。命をかけていないものは、つまらない。そもそも美しくない。私は面白いもの、美しいものを好む。

前述の永田氏の指摘にあるように、私に言葉、文学持つ官能性や快楽を教えてくれたのは、何と言っても中上健次だった。たとえば以下のような『枯木灘』の描写は、人間が生きることの愛しさ、せつなさに満ち満ちており、凄絶でさえある。

秋幸は紀子の首筋に唇をつけたまま、自分の尻が外からの日にさらされてケダモノのように動くのを想像し、ケダモノの精液を子宮の中にぶちまけてやる、と思った。紀子は体を固くした。自分の体にくい込んだ秋幸の体をひきはがすために力をこめてつっぱり、つめを立て、そして不意に離した。涙が紀子の眼にあふれ、体をだらんとしたまま、まだ尻を振っている秋幸の体を強く抱いた。秋幸は止めなかった。秋幸は座席にひざをついて紀子の両脚を上げさせそれを肩に上げた。紀子の体は二つに折りたたまれた具合だった。車の外の竹藪に風が吹き、葉がこすれ合う音が一斉にひびいた。紀子は首をあげ、唇を突き出して秋幸の顔に口づけた。秋幸は自分の体の中に脹れ上ったものがそうやって紀子の体に性器を打ちつけるたびに、ますますかさが増すのを知った。紀子が、苦しげに尻を振る秋幸を救けるように口づけし、腰を動かす。紀子はまた声をあげた。

それまでの秋幸は、紀子を壊れ物でも扱うかのように大事にしている。しかし、この場面では、秋幸がどれだけ追い詰められているか、そこでもなお生きようともがいているか、その切実さが伝わってくる。愛する者を犯したい、破壊したいというのは、いったいどんなときか。独りの時である。存在の死に直面した(あるいは、しそうな)ときである。どうしてよいか分らず、やりきれなく、泣き、わめき、狂いたいとき。誰かそばにいてくれ。受け止めてくれ。そういう自分を、どうか許してくれ。私はいったい何度、この場面を読んで、せつない気持ちになったことだろう。

こんなことを、少しの間、言葉あるいは文学から考えてみたいと思っています。なぜ、私たちは、言葉に欲情するのだろう?

ひとつの区切りとはじまりの合図ーー2023年を振り返るーー

2023年が終わろうとしている。今年は激動の一年だった。

依頼の原稿の仕事も(私にしては)多かったし、11月には昭和文学会の秋季大会で学会発表とシンポジウムも経験した。詩も書いた。短歌も始めた。でも一番は、人間関係が激変したことである。たくさんの出会いがあった。何より再会があった。それは私の人生に、いま、大きな変化をもたらそうとしている。ふと、これまでの人生のある出来事に、ひとつのケリをつけたくなった。そこで、この場を利用して、思いつくままを書いてみようと思う。

私は文学をやっているが、それは、誰にも触らせたことがなかった。家族はもちろん、今まで付き合ったひとたちの誰も、その領域に入ることを許さなかった。誰にもわかって欲しくなかったし、わかるわけがないと思っていた。

かつて私は、ある女のひとを愛したことがある。そのひとは、誰よりも私の文学を応援してくれていた。少なくとも私は、そう信じていた。しかし私は、そのひとでさえ、私の文学に触れることは許さなかった。あるときそのひとに、こんなことを言われた。「あなたはどんなときも心を乱さない。乱しているようなときでも、きちんとシャツを着てボタンをはめている」。私はその意味がわからなかった。そのひとと別れたあと、この話をしたところ、親しい友人が言った。「かわいそうに。そのひと、シャツのボタンのはずし方を知らなかったんだね」。

いまとなっては、これが、文学だったのだと思う。文学に触らせないということは、つまり、何も心を開いていないのと同じだったのだということに、最近ようやく気がついた。もしかしたら彼女には、申し訳ないことをしたのかもしれない。だが、いまとなってはどうにもならないことだ。

別れるとき、彼女は私に「あなたには文学がある。それにずっと嫉妬していた。私には何もない」と言った。そう言われる前から、私は、彼女にとって、私が文学をやることは、実は面白くないことなのかもしれないということを、おぼろげながら感じていた。別れる前、私は初の単著を出版していた。『林芙美子とその時代』である。彼女にも贈った。だが、何の反応もなかった。少なからずショックを受けた。私は詰った。すると彼女はこう言った。「あなたの本があまりにうれしかったので、大切に仏壇に供えていた」と。人生で、このときほど傷ついたことはあまりない。

別れてからも、彼女のことは何度も詩に書いた。しかしそれは未練ではなかった。謎として残されたものを解明したかっただけだった。リアルな彼女はもういらなかった(事実、私は、別れるときに、「新しい人生を始めたいのだからもうつきまとわないでくれ。私の前に二度と姿を現わさないでくれ」と告げている。私にはこうした容赦のないところがある)。言い換えるなら、文学のモチーフとしての彼女はまだ必要だった、ということになる。

でも、今年、ある詩を書いて、ひと区切りがついたような気がした。これはまだ公にはなっていないが、ゆっくり、時間をかけて書いた。あるひとにだけは、完成前に、その詩を読んでもらった。私のなかに変化が起こった。彼女のことは、もういいかな、と思うようになった。

繰り返すが、私はこれまで、文学をやる自分を誰にも触らせなかった。だがいまは、その文学をやる自分ごと、預けてもいいかなと思うひとがいる。この詩を読んでもらった「あるひと」にだけは、自分のすべてを曝け出してもいいと思っている。私はそのひとから愛されているという実感があるし、私もそのひとを愛している。事実、毎日、そのひとに私は救われている。

文学をやる私だからこそ言えることがある。私はこれまで、たくさんの文学に救われて来た。だが、最終的にひとを救うのは人間だ。年をとったいまだからこそ、それははっきりと言える。そもそも人間がいなければ、文学もないんだものね。

2023年は、そんな一年だった。2024年は、どんな年になるか。そんなの、生きて、文学をやるに決まっているじゃん。それだけだよ。

誰かを愛するということ

ただ、われわれは、めいめいが、めいめいの人生を、せい一ぱいに生きること、それをもって自らだけの真実を悲しく誇り、いたわらねばならないだけだ。問題は、ただ一つ、みずからの真実とは何か、という基本的なことだけだろう。(中略)人生において、最も人を慰めるものは何か。苦しみ、悲しみ、せつなさ。さすれば、バカを怖れたもうな。苦しみ、悲しみ、切なさによって、いささか、みたされる時はあるだろう。それにすら、みたされぬ魂があるというのか。ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。(坂口安吾恋愛論」)

最近、ひとを、誰かを愛するということについて、思うこと、考えることが多くなった。もっとも、何かこう、体系的に考える力はわたしには欠けているので、つらつらと、断片的に浮かんでくるだけである。それをきょうは書いてみようと思うのである。

まず、確信を持って言えるのは、ひとが誰かを本気で、いのちを賭けて愛するのは、実はみんな生涯でたったひとりなのではないかということである。それが実るか実らないかは二の次である。恋愛はエネルギーを要する。毎回毎回本気では、冗談でなく死んでしまうであろう。人間として、生活が成り立たない。だが、ひとを愛するということは、どういうかたちであれ、素晴らしいことである。

愛することには、喜びだけがあるわけではない。ときにはむしろ苦しみの方が大きいとさえ言える。自分の苦しみのほかに、相手の苦しみを引き受けることでもある。それがなければ愛ではない。

恋愛に限らず、自分だけが苦しんでいる、自分はいちばん苦しんでいる、といったある種の被害者意識は、はっきり言って何にももたらさない。安っぽい悲劇のヒーロー、ヒロインは、村の公民館の演芸大会だけでじゅうぶん。相手の方が苦しんでいる、あるいは、自分よりももっと苦しんでいるひとがいる、ということに思い至ったとき、世界は一気に広がりを見せる。苦しんでいるひとに手を差し伸べること、大切に思うことが、愛や慈悲といった、いわば宗教の原点にある。本来、ひとを愛するということは、高度に宗教的、精神的なものなのだ。

もっとも、わたしは、欲望、性愛を否定しない。自覚するか否かに関わらず、みんなこの世にひとりぼっちで生きている。そのなかで出会った二人が(便宜上、二人ということにしておく)、惹かれあい、やがて体を重ねるようになる。そこには、人間が生きることのせつなさが凝縮されているように思うのは、わたしもロマンチストが過ぎるだろうか。

恋愛はいつも、芸術の花であった。

 

中断したままの日記

※ご無沙汰しております。久しぶりの更新になります。

 

私は、およそ4年前に、適応障害から鬱病を発症するまで、約15年間、日記をつけていた。そのノートの数は、およそ100冊にもなる。

日記、といっても、それはまさしく「雑記」であり「ネタ帳」であった。日々の苦しい思いを書きつけたこともあれば、読んだ本、観た映画の記録もここに残してある。このブログの記事の大部分は、その日記をもとに書いたものである。

教員生活が忙しくて、文学どころではなくなったとき、私を辛うじて文学につなぎとめるものは、この日記だけだった。これは、ある時期の私のすべてと言ってもよい。書くことが、そのまま生きることだった。

それすらも絶たれたのが、鬱病の発症だった。以来、私は今日まで、日記をつけたことがない。もっとも、そのおかげで、寝たままでも書ける「詩」への道がひらかれたのだから、100%の絶望ではなかった。しかし、日記への思いは、ずっと持ち続けたままだった。

最近になって、病状もだいぶ回復してきたので、来年あたりから、また日記を始めようか、と思うようになった。そこで、実に久しぶりに、中断したままの、最後の日記を読んでみようという気になった。

以下、その抜粋である。

 

<2021年1月9日>

先輩から、励まされた。「これから、もっとつらいことが起こるかもしれない。だからこそ、ことあるごとに自分に言い聞かせなさい。今まで努力してきたこと、誠実に生徒と向き合ってきた自分に自信と誇りを持ちなさい。それを言い聞かせて、出勤しなさい」。

大丈夫だ、明日は、出勤できる。行ける、と言い聞かせる。明日辞めてもいいと思えば、行ける。仕事があるだけありがたいとか、何が何でも、とかだと、かえって具合が悪くなる。私は、何のために仕事をしているのだろう。

<2021年1月14日>

今日は、吐きまくって仕事に行ったという感じだった。職場に着いてしまえば何とかなるのに、行くまでが本当に苦しい。でも、ともかく、3日間、出勤できたのは自信になった。

<2021年1月18日>

仕事を休む。病院の時間を早めてもらう。「鬱病」の診断。死なないことを約束させられた。クビになるのが異常に怖い。お金のことじゃない。見捨てられるのが怖いのだ。

<2021年1月21日>

みんなに申し訳ない。おまえは、多くの人を、裏切るのか?

 

日記はここで中断したままだ。さぞ、苦しかったのだろう。読んでいて、つらい。

しかし、私は近いうちに、日記を再開するだろう。また、自分の生を記録していくだろう。結局、書く以外に、私の生きる道はないのだから。

 

※仕事は相変わらず多忙を極めていますが、このブログも、少しずつ再開していきます。よろしくお願いします。