「パリ市庁舎前のキス」であまりにも有名だけど、私は、こどもを撮った何気ないスナッ プの方が好きだ。そのこどもたちは、どこにでもいる、だが紛れもないこどもたちだ。ルネ・クレールの映画を評する時に、「庶民の哀歓」と いった言葉が使われるけれど、ロベール・ドアノーの写真もまさにそういった感じなのであ る。中流からちょっと下ぐらいまでの、妙にエネルギッシュなお子様たち。
ドアノーのこのエッセイは、アンリ・カルティエ=ブレッソンのそれが、さしずめ詩人のものだとしたら、限りなく小説家のものである。文章もそうだし、たまに見せる愛情ある?皮肉が余計にそう感じさせるのかもしれない。
詩人と小説家の違いということになると、私は、敗戦を迎えたときの永井荷風と谷崎潤一郎の日記を思い出さずにはいられない。荷風は、祝杯をあげた、と記した。谷崎は、自分については一言もなく、家人は涙を流していた、と書いた。
ドアノーはこんなことを言っている。
「見ること、聞くこと、感じること、そしてなおよいことに、愛することを教えてくれそうな人々を探し出すのは、たんに嗅覚と欲求の問題なのである」
「歩きまわることを好む写真家が自分の芸を成功させるには、偶然出会った人たちの、ぼんやりした寛容さに頼らなければならない」
とか、ああ、いいなあ、すごいなあと思う。
それは、彼が撮影したさまざまな人たちの人物評からもうかがわれることであり、だからこそ彼は、彼を取材し、記号的に料理しようとしたロラン=バルトといった学者への嫌悪を表明せずにはいられない。
被写体と一緒に生きて、楽しく写真を撮ること以上に価値あることは、ロベール・ドアノーにはなかったので、私は、ある一時期、それこそ神の如く扱われたバルトへの批判を、まさかこんなところから見つけるとは思わなかったから、妙に嬉しかった。 お偉い知識人たちが、おそらく永久に見つけることもないような文献だからである(もっとも、 私はバルトは嫌いではない)。
ロベール・ドアノーの写真を初めてまとまった形で観たのは、もう何年前になるだろう、福島県郡山市にある美術館においてだった。その当時の私は、80キロほど離れたいわき市に住んでいて、そこには海と山と空しかなかったから、ほとんど衝動的に車を走らせたのだ。
そして私は、かつてこどもの頃に憧れた世界を再確認したし、愛憎入り混じった東京での生活を捨てて、いわきに移り住んで、そのとき確かに一度は殺したはずの何かを思い出したのだった。
この時のロベール・ドアノーの写真は、まったく、人工の美の輝かしい存在だった。