高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

江戸川乱歩「目羅博士の不思議な犯罪」

街が好きだ。誰が何と言おうと、街が好きだ。理屈抜きに好きなのだからどうしようもない。街に出ると、空を飛んでいるような気持ちになる。どこまでも行ける。そんな感じになって、ぐんぐん歩く。自分では、大真面目に、飛んでいるつもりなのだ。

街の中でも、古い、何の変哲もない雑居ビルが立ち並ぶ場所に来ると心が踊る。「ビルヂング」などという表記を見つけたら、その日は当たり。

こういう場所は、休日、その界隈で働く人々が通らないときがなおよい。都会なのに、昼間でもシンと静まり返って、異世界にでも迷い込んだような気になる。

ここではどんな人が働いているのだろう。そんなことを考えている時が一番楽しい。見上げる。古ぼけた看板が出ている。妙に凝った書体で、「東洋商事」「興亜K.K」「日商開発」、いったい何をやっている会社なのか。すっかり嬉しくなってしまう。

こんな場所があるのは、何と言っても東京である。だから私は東京が好きだ。  

日本が生んだ名探偵の双璧(歴史がある、という意味で)江戸川乱歩明智小五郎横溝正史金田一耕助、この二人、あらゆる面で対照的で、明智は都市型、金田一は農村型である。乱歩より少し遅れてデビューした横溝正史からすれば、明智小五郎のアンチテーゼとしての探偵を生み出さなければならなかったわけで、作品の舞台を、彼が疎開していた岡山県を中心にしたのは、たんなる伝記的事項からだけではなく、文学史としても必然だったのである。  

私はどちらの作品も好きだが、より多く、私に影響を与えたのは、江戸川乱歩だった。今思えば、何より、私にとっての乱歩とは、「東京」そのものであったのである(松山巌氏の『乱歩と東京』は、かような理由から今も愛読している)。

小学生の私には居場所がなかった。家庭では父母の不和に絶えずびくついており、学校ではいじめにあっていた。江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズを読むことだけが救いだった。いつか東京に行くんだ、東京の大学に行って、この仙台を出てやる、幼心にそう決めていた。

このお話は、手元の春陽堂書店の文庫『屋根裏の散歩者』に収録されている。これには、「押絵と旅する男」や「虫」といった私好みの作品が多く、何より、短篇小説の粋とでもいうべきものばかりが収められている。短篇を、短い小説としか考えていないような人は一度これらの作品をとことん勉強なさるがよろしい。何より、乱歩の作品を支えているのは、その類稀なる文章力なのです。

ちなみに「目羅博士の不思議な犯罪」、私はこれを全文引用したいほど偏愛している。手っ取り早く言ってしまえば、私が冒頭に書いた、ビル群を舞台にした不思議な物語なのである。

物語は、小説の筋を考えるために浅草に出向いた「わたし」が、一人の青年から、「こんな話はどうでしょうか」と、不思議な犯罪の物語を聞かされるという構造になっている。乱歩得意の入れ子構造である。

「ドイルの小説に、『恐怖の谷』というのがありましたね」と、青年は唐突に話し始める。

  「あれは、どっかのけわしい山と山が作っている峡谷のことでしょう。だが、恐怖の谷は、自然の峡谷ばかりではありませんよ。この東京のまん中の、丸の内にだって、恐ろしい谷間があるのです。 高いビルディングとビルディングの間にはさまっている細い道路。それは自然の峡谷よりも、ずっとけわしく、ずっと陰気です。文明の作った幽谷です。科学の作った谷底です。その谷底の道路から見た両側の六階七階の殺風景なコンクリート建築は、自然の断崖のように、青葉もなく、季節季節の花もなく、目におもしろいでこぼこもなく、文字どおり斧でたち割った巨大なネズミ色の裂け目にすぎません。見上げる空は帯のように細いのです。日も月も、一日の間にほんの数分間しか、まともには照らないのです。その底からは、昼間でも星が見えるくらいです。不思議な冷たい風が、絶えず吹きまくっています。 そういう峡谷の一つに、大地震以前まで、ぼくは住んでいたのです。……」

この青年が見たものは?目羅博士とは何者なのか? これはネタバレになるから書かないけれど、読後、背筋が、スーッと冷たくなるような話であることは間違いありません。不思議な犯罪の話ではあるのですが、いかにも起こり得ること、という感じなのです。少なくとも、これを読んだら、ビルの見方は変わるはずです。

私は、日常の裂け目からヒョイと顔を出すような怪奇な話を最も好みます。

こういうのが、いちばん、怖い。