高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

島津保次郎『隣の八重ちゃん』(1934)

まず、タイトルからしていいじゃありませんか。

島津保次郎という監督がこの時代にどんな位置にいたのかは、タイトルクレジットを見ればわかる。助監督に豊田四郎吉村公三郎とか、撮影助手は木下惠介だし、はっきり言ってビビる。そして、いわゆる松竹蒲田調なるものがきわめてわかりやすく出た作品。

お話自体はたいしたことはない。隣同士、二組の家族の日常と、ちょっとした事件なんかが綴られていく。服部家の八重子(以下八重ちゃん。逢初夢子)は、新海家の恵太郎(大日方伝)と精二(磯野秋雄)兄弟と仲が良い。どうやら八重ちゃんは恵太郎にほのかな思いを寄せているようだ。恵太郎も八重ちゃんを憎からず思っている。と言っても、もちろんあからさまではありません。こうした物語の王道をはずれることなく、わざと邪慳に扱ったり、からかったりしながら、でもほんとに仲睦まじい。

八重ちゃん役の逢初夢子(しかし、あらためてすごい芸名だな)は決して美人ではないが、何とも可憐で、純情で、何のことはない、いたって平均的な女の子である。この作品でデビューした同級生役の高杉早苗の派手な顔立ちに比べれば、どうにも野暮ったい。しかしこれでいいのである。それについては後で述べる。

しかし、八重ちゃんの姉・京子(岡田嘉子)が嫁ぎ先から出戻って(これ、今だと差別用語ですね)きたことから、平和な日常に波風が立つようになります。予想通りの展開と申しましょうか、京子は恵太郎に興味を示し、八重ちゃんはやきもきすることになる。

はい、伝説の女優・岡田嘉子さんですよ。何とも異様な存在感。映画を見ているあいだ、ずっとこの存在感の正体について考えていたのですが、ようやく思い至ったのは、この人だけ、現代でも通じる顔をしている、ということ。そして、役柄を超えて妖艶。小津安二郎がこの人を評して、演技は巧いが目に好色の星が見えた、と言ったことなどをふと思い出しました。

ある日、両家の姉妹・兄弟は帝劇に映画を見に行きます。いやあ、帝劇って立派だったんだなあ。上映されているのはアニメ、ベティ・ブープですよ! 映画のなかに映画あるのは楽しいなあ。そういや恵太郎ってば、『會議は踊る』の主題歌、「ただ一度だけ」を歌っていたなあ。しかも、恵太郎はフレドリック・マーチに似ているという設定(それほど似ていない)。戦前の映画が大好きな私としてはたまりません。

この映画、当時の風俗を知る上でもかなり貴重です。上記の他にも、円タク、銀座をはじめとした東京駅周辺の街並み、カフェー、鳥屋。恵太郎は帝大生、弟の精二は甲子園を目指すピッチャーという設定。人々が何を好み、何に熱狂したかがわかります。

さて、話を本筋に戻します。

映画を見た4人、その後に鳥鍋をつつくのですが、恵太郎と京子は酒を飲み、八重ちゃんと精二はごはん。完全に子ども扱いである。イライラする八重ちゃんがかわいらしい。

そしてここからの帰りの円タクの車内が…酔った京子、恵太郎にしなだれかかる。というより、もはや恵太郎に抱きついている。戦前の日本でこれはいいのだろうかと思うレベル。見えているぶんには何ということはないのだが、何せ、岡田嘉子が発する妖気が、はっきり言って検閲レベルなのである。

後日、京子は近所の河原で恵太郎に愛を告白。それにしても、壮絶に甘ったるい「私を、愛して、下さらない?」には参った。しかし、恵太郎は彼女を突き放す。予想より恵太郎はきっぱり拒絶した。うーん、戦前の男子やな。精二はめでたく甲子園への出場が決まる。彼、早稲田なんですよ。まったく、ここまで王道だとかえってすがすがしい。

ところが、応援から帰った八重ちゃんと恵太郎を待ち受けていたものは、京子の家出であった。まったく、よく出たり入ったりする人ではある。しかも、八重ちゃんのお父さんが、朝鮮への急な転勤が決まるというあららららな展開。京子が行方不明のまま、慌ただしく八重ちゃん一家は旅立つ。

と思ったら、おや、八重ちゃんだけ戻って来ました。そうです。八重ちゃんは、女学校を卒業するまで、恵太郎の家に下宿することになったのでした。「今日からもう隣の八重ちゃんじゃない」、うーん、見事な幕切れ。このセリフのために、この映画はあったのね。メデタシメデタシ。

って、あれ、京子は?

結局あれだ、つまり、深窓の令嬢的な高杉早苗でもなく、妖艶な出戻り(すみません、バツイチだと合いません)女性の岡田嘉子でもなく、明るく元気で、よく気がつき、時には穴のあいた靴下を直してくれちゃったりする、それこそお隣にいるような、平凡な女の子が一番! という映画なんだよなー。キャッチボールをしてお隣のガラスを割っても怒られない、父親同士は仲良く酒を酌み交わし、母親同士は愚痴を言い合い、とにかくお隣さんは仲良く、それが一番! みたいな。

戦前の大多数の日本人の価値観を満喫できるような作品。小市民映画と呼ばれる所以です。八重ちゃんは、他の二人の女優に比べると顔も大きく、スタイルも良くない。でも、結婚したらいい奥さんになり、元気な子どもをたくさん産みそうです。そんなイメージで作られています。